最近、アメリカのニュース番組で司会者が「社会的弱者はただ殺せばいい」と発言して炎上しました。たしかにその言葉は暴力的で許されません。しかし冷静に見れば、この発言が炙り出したのは“ある層にとっては本音である”という社会の現実だ。だからこそ、感情論で終わらせず、構造的な解法を提示したい──それが星凜主義の提案する「社会主義村」である。
社会的弱者は「ただ殺せばいい」。生放送中、司会者の発言に共演者も静まり返る→世間から批判が殺到「クビにして」(アメリカ)
1.アメリカで何が起きているのか—資本主義が生み出す弱者の再生産
発端となったのは、アメリカのニュース番組での一言だった。
「ホームレスは野良犬と同じで邪魔だ。社会的コストがかかるのだから、殺処分が効率的ではないか」
──あまりに乱暴で残酷な物言いだが、そこに透けて見えるのは「資本主義社会において成功者以外には人権などない」という思想である。
都市はその象徴だ。高賃金を求めて人が集まるが、同時に住居費、教育費、医療費といった生活コストも青天井に上がる。エリートの座を得るためには教育に巨額の投資を強いられ、医療制度は富裕層に優しく、貧困層には「死んでも仕方がない」という無言の圧力を与える。ここでは「勝者総取り」のルールが当然視され、脱落した人々はホームレスや低賃金労働者として都市の片隅に追いやられる。つまり都市自体が、常にホームレスを“再生産”し続ける仕組みになっているのだ。
もちろん支援制度は存在する。しかしそれは一時的な補助や部分的な自立支援にとどまり、社会的弱者を根本から救い上げるには至らない。結果として都市部では、救済コストと治安コストばかりが積み重なり、制度全体が歪んだまま維持されている。
一方で田舎はどうか。人口流出が止まらず、利益にならないインフラは切り捨てられ、残るのは農業ぐらいしかない。若者は教育を受けるため、そして仕事を求めて都市へ向かう。地方は過疎化し、担い手を失い、さらに生活基盤が脆弱化する。教育にかける資金力の差は格差を固定し、田舎の子どもたちは低コストの教育で安価な労働者にしかなれない。だが都市にしか仕事はない──その矛盾がさらなる人口流出を生み、都市と地方のアンバランスは悪循環を描いていく。
資本主義の本質は効率と利益だ。しかしその裏側では、都市は「弱者を使い捨てる仕組み」と化し、田舎は「人が流出する消耗地帯」と化している。暴言としての「殺せばいい」は決して許されないが、それを支持する層が一定数存在するのは、この構造そのものが生んだ必然でもあるのだ。
2.なぜ切り捨てが行われているのか
2.1「切り捨て」は感情の解消にすぎない
司会者の発言の背景には、単純な計算式がある。
──ホームレスを支援するのにも、莫大な行政コストがかかるのだ。
- 炊き出しやシェルターといった支援事業
- 路上で倒れた人の救急搬送や医療費
- 軽犯罪で逮捕・収監される際の警察・刑務所運営費
- 治安維持や監視にかかる費用
これらはすべて税金であり、成功者層にとっては「なぜ自分が稼いだ金を、落伍者に使わねばならないのか」という苛立ちにつながる。だからこそ「野良犬と同じように殺処分が一番低コスト」という短絡的な言葉が出てくるのだ。
しかし現実には、ドロップアウトした人々を再び社会の中で生きられるようにするには膨大なコストが必要で、現状では十分な成果が上がっていない。結局、多くの弱者は“支援対象”として名目上は救われつつも、実際には見殺しにされている。この矛盾が「どうせ救えないなら排除してしまえ」という思考を後押しする。
しかも恐ろしいのは、この思想が一定の共感を集めてしまうことだ。安全な場所にいる人々──高所得者や安定した職にある者は、自分が殺されるわけではない。だからこそ「排除すべき」という発言を“冷静な合理論”と受け止めてしまうのだ。
だが忘れてはならない。資本主義社会の多数派は「成功者」ではなく「弱者側」にいる。毎日、低賃金で忙しなく働き、社会を支えている人々だ。華やかな成功者の陰には、何百人、何千人もの労働者が汗を流している。その存在を「コスト」と呼び捨てるのは、社会の基盤そのものを否定する行為に他ならない。
本来であれば、資本主義の勝者こそが弱者救済に責任を負うべきだ。だがそれを前面に掲げる政治家は選挙で勝てない。アメリカでは過剰競争こそがアイデンティティであり、「弱者に優しい社会」は“敗者の理想論”と切り捨てられてしまうからだ。こうして切り捨ての思想は、感情の発散でありながら、資本主義社会そのものに深く根ざした「共感」を獲得してしまうのである。
2.2 なぜホームレスが生まれるのか
ホームレスは「怠けたから」でも「努力しなかったから」でもない。資本主義の構造がそうなるように設計されている。要因を整理するとこうだ。
- 住居コストの高騰
都市部は家賃が高すぎて、フルタイムで働いても住居を確保できない。ワンルームにすら住めず、路上へ追いやられる。 - 教育費の高騰と借金漬け
高収入の職に就くためには高学歴が必須。しかし教育費は青天井で、若者は奨学金という名の借金を背負わされる。卒業しても返済に追われ、生活が不安定になる。 - 移民による低賃金競争
移民労働者が低賃金で職を奪い、もともと不安定な若者の雇用をさらに圧迫する。結果、仕事を見つけられずに転落していく。 - 高賃金な仕事はコネ社会
収入の高い職は結局「家柄・人脈・コネ」が支配する世界。能力や努力だけでは突破できず、格差が固定化される。 - 田舎には仕事がない
地方はインフラが縮小し、雇用も細る。若者は都市へ出るしかなく、都市の競争に吸い込まれる。 - 生活コストの異常な高さ
食費・医療費・保険・教育費──どれをとっても高額。最低限の暮らしすら維持できず、転落すれば戻れない。
こうして若者は都市に流れ込み、仕事を失い、借金に押し潰され、気づけば路上生活に落ちていく。支援も不十分なまま、彼らは人知れず白骨化し、ニュースにすらならない。残された「楽しみ」は、現実逃避のためのお薬くらい──これが資本主義が日常的に生み出している現実だ。
3.提案:まずは社会主義的な箱庭をつくろう

「殺せばいい」という暴論に対して必要なのは、真逆の発想だ。
──人を生かし、役割を与える箱庭社会をつくること。
都市や田舎に散らばって“放置”されている課題を、社会主義的にまとめて引き受ける場をつくる。それが「箱庭」としての社会主義村である。
① 生活と教育の保障
- 衣食住を最低限保証する。
- 学び直しや職業訓練を提供する。
- 借金や失業で行き場を失った若者にも「もう一度やり直せる場」を用意する。
② 採算が取れないが必要な仕事を担う
資本主義に任せると誰もやらない、けれど社会に必要な仕事は多い。
- 田舎で放置されたインフラの維持管理
- 農業や森林の手入れ
- 地域の高齢者ケアや清掃
こうした分野は「金にならないから無視される」領域だ。ここを税金で支え、社会主義村で担えば社会全体が安定する。
③ 役割の割り振りと“ゆるい参加”
働けない人に「フル労働」を求める必要はない。
- 歩ける人は農作業を手伝う
- 手が動く人は掃除や片付けに参加する
- 動けない人は記録や見守りなど軽い役割を持つ
- 引き籠りはネットで社会主義を肯定する活動をする
大切なのは「誰もが何らかの役割を果たしている」という実感だ。これが人の尊厳を守る。
④ 農業で自給自足の安心
農業を基盤にすれば、生活は安定する。
- 米や野菜を作れば、食べるものには困らない
- 余った農産物は外部に販売できる
- 食糧自給を高めることは国家全体にとってもメリットだ
「農業をやっているから、生きていける」という安心感があれば、都市の路上に倒れる若者も減らせる。
3.1 社会主義村のメリット一覧
1. 個人(住民)にとって
- 生活の安定:衣食住と基礎医療が保障されるので、路上で死ぬリスクがなくなる
- 役割の確保:農作業やインフラ維持など「できる範囲」で働き、社会の一員である実感を持てる
- 教育・再起のチャンス:学び直しや訓練を通じて資本主義圏に戻るルートが用意される
- コミュニティでの暮らし:孤独死や孤立から解放され、人間的な生活(娯楽や交流)を持てる
2. 都市にとって
- 路上生活者の減少:治安改善、景観改善、救急搬送や警察対応のコスト削減
- 犯罪率の低下:軽犯罪・窃盗などが減り、住民全体の安心感が向上
- 労働市場の安定:都市で「落ちる人」が減り、労働供給が健全化する
3. 地方(田舎)にとって
- 過疎地の再生:空き家や耕作放棄地が活用され、コミュニティが維持される
- インフラの維持:市場原理では切り捨てられる上下水道や道路の保守が継続できる
- 農業・環境保全の担い手:食糧自給や森林管理など、国家的に重要な仕事を支える人手が確保される
4. 国家(財政・社会全体)にとって
- コスト削減:刑務所・救急・治安維持にかかる「事後コスト」を大幅に減らせる
- 社会の安定:弱者を見殺しにしないことで、分断や暴動リスクを下げる
- 持続可能性:資本主義が採算を取れない領域を社会主義村が担い、全体のバランスが取れる
- 国際的イメージ改善:「弱者を殺せ」ではなく「社会的に再生する仕組みを持っている国」として評価される
社会主義村は「弱者の収容所」ではなく、都市・地方・国家すべてにメリットを供給する再生装置である。
- 都市の負担を減らし
- 地方を蘇らせ
- 国家財政を健全化し
- 住民本人の尊厳を守る
まさに Win-Win-Win-Win の仕組みである。
3.2 社会主義村と投票権の問題
社会主義村は、弱者を救済しつつ都市・田舎・国家にメリットを与える「Win-Winの装置」である。
しかし、ここでひとつ避けて通れない問題がある──投票権だ。
社会主義村は恐らく赤字運営となり、税金で支えられる構造になる。その住民が選挙権を保持したまま増加すれば、彼らの票が特定の政治勢力に集中する可能性がある。結果、納税者層の意思が国政に反映されにくくなり、最悪の場合「独裁的な票田」や「破綻国家」につながりかねない。
論理の順序を整理
- 問題提起:資本主義は競争と格差を生むが経済を成長させる。一方、社会主義はセーフティネットを提供するが、非効率性や全体主義の危険をはらむ。
- 星凜主義の回答:両者の長所を共存させる「二重国家モデル」を設計する。
- 新たな問題:二つのシステムが相互に干渉しすぎると、どちらのメリットも失われる。特に、救済を担う社会主義村の住民が国政を左右すれば、資本主義圏の納税者との対立を生む。
- 解決策:このリスクを避けるために「投票権の扱い」を再考する必要がある。これは差別ではなく、システム全体の安定性を守るためのガードレール(安全装置)である。
制度案の方向性
- 社会主義村では村内自治選挙を認める(住民の意思決定は尊重する)
- 国政選挙権は原則停止、ただし納税や労働で一定の基準を満たした場合に段階的に回復できる
- 外部監査を義務化し、恣意的な剥奪とならないようにする
これにより、社会主義村は国政を人質に取る“票田”にはならず、資本主義圏との共存が可能となる。
星凜ちゃん演説

「皆さん──“弱者は殺せばいい”などという言葉が飛び交う社会を、私たちは未来に残してよいのでしょうか。
確かに、資本主義は効率を生み出します。しかし同時に、都市ではホームレスを再生産し、田舎は人を失って荒廃していく。この歪みを放置すれば、社会全体が崩壊してしまいます。
だから私は提案します。社会主義村という“もう一つの箱庭”を。
衣食住と教育を保障し、誰もが小さな役割を果たし、農業やインフラを支えながら自らの尊厳を取り戻せる場所を作るのです。
これは“収容所”ではありません。社会を再生させる装置です。
都市の負担を軽くし、田舎を蘇らせ、国家の財政を健全化し、そして人を守る。Win-Win-Win-Winの仕組みです。
もちろん、税金を使う以上は責任ある制度設計が必要です。だから私は明言します。社会主義村の住民は国政の投票権を原則放棄すると。
自治は認めつつ、国政を人質に取る票田にはしない。これこそ資本主義圏との共存を可能にするガードレールです。
“殺せばいい”という短絡ではなく、“生かして共に支える”という構造的な解法を示すこと。
それが、資本主義の成長と社会主義の安定を両立させる──星凜主義の答えであります。」
Q(アヤ様・財政視点)
「でも赤字で税金を食い潰すだけではございませんこと?」
A(星凜)
「確かに単体では赤字です。でも放置コストと比較してください。救急搬送、刑務所、治安維持にかかる税金を削減できれば、むしろ全体の支出は下がります。効率的に支援した方が“安い”のです。」
Q(アリサ・治安視点)
「・・・それ、村が治安の温床になったら危険。」
A(星凜)
「だから役割を与えるのです。暇を持て余すから犯罪が生まれる。農作業やインフラ維持など、ゆるい仕事でも担えば“居場所”が生まれます。居場所のある人間は、危険分子になりにくいのですよ。」
Q(紫乃ちゃん・共同体視点)
「でもなぁ、入りたくないって人はどうなるん? 強制したらあかんやろ?」
A(星凜)
「もちろん強制ではありません。希望しない人には都市の既存制度を使えばいい。社会主義村は“選択肢”であって収容所ではない。むしろ“最後の逃げ場”を制度的に用意することが大切なのです。」
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