平野雨龍とは何者か?その経歴、参院選挑戦、そして「別人」疑惑の深層

平野雨龍(ひらの うりゅう)氏は、日本の社会運動家であり着物モデルでもあります。2019年の香港民主化デモを支援したことで広く知られるようになり、中国政府への強硬な姿勢と人権擁護を一貫して訴え続けています。ウイグル人権問題の告発や中国人移民政策の見直しなどを活動の柱とし、2025年には参議院議員選挙に挑戦。組織票を持たない無所属候補ながら、約23万5千票を獲得するという健闘を見せました。

しかし、その異色の経歴や発言から、インターネット上では様々な憶測や批判が飛び交い、「中国出身ではないか」「別人ではないか」といった疑惑が取り沙汰されています。ここでは、平野雨龍氏のこれまでの歩みと活動内容、支持層、そして最近話題となっている「別人疑惑」について詳しく解説します。

経歴と活動の歩み:家庭環境から社会運動へ

平野雨龍氏は1994年、千葉県に生まれました。幼少期は父親からの家庭内暴力に苦しみ、PTSDを患うなど過酷な環境で育ったとされています。高校時代は渋谷系ギャルとして芸能やファッションに傾倒しましたが、その後、日本の伝統文化に魅了され、茶道、華道、雅楽(龍笛)などを学び始めました。大学在学中に舞台女優としてデビューし、歴史ものの芝居に出演する一方で、自由を求めて大学は中退しています。20代前半には靖国神社崇敬奉賛会の青年部理事を務めるなど、保守的な文化活動を通じて日本の伝統や歴史を重んじる価値観を深めていきました。

平野氏の人生における大きな転機となったのは、2019年の香港における「逃亡犯条例」改正反対運動(香港民主化デモ)でした。以前から香港を頻繁に訪れ、友人も多かった彼女は、この民主化運動に強い共感を覚えます。2019年6月、渋谷で行われた香港支援デモに初参加し、翌日には名古屋でのデモでもスピーチを行いました。彼女の演説動画(日本語から英語への翻訳版)はネット上で40万回以上再生され、香港の自由が失われれば台湾や東アジア、ひいては日本にも影響が及ぶと訴える内容が大きな反響を呼びました。これをきっかけに、平野氏は毎週土曜日に「世界と共に香港を守る連帯行動」と題したデモ行進を東京で主催。自費で横断幕を作成したり、モデルの仕事を断ったりしながら、香港支援活動を精力的に続けました。

2019年10月には、着物姿で香港の民主化デモに参加し、日本人の立場から「世界は香港を支えるべき」とアピール。同年9月には自ら香港に赴き、現地の民間記者会見で香港警察の暴力を非難するなど、海外でも積極的に発言しました。「香港の人々と最後まで共に戦う」という決意を表明した彼女は、中国本土のネット工作員(いわゆる“五毛党”)から誹謗中傷や殺害予告を受けるような危険な状況にも晒されましたが、それでも「香港を守るためなら命を捧げる覚悟がある」と公言し、支援を継続しました。こうした勇敢な行動により、彼女は香港や台湾のメディアから「日本反送中(逃亡犯条例反対)第一人者」と称賛され、一躍国際的な知名度を獲得しました。

香港問題への関わりを契機に政治への関心を深めた平野氏は、中国政府による人権抑圧への危機感から「自分が国会議員を目指すしかない」という思いを抱くようになります。特に2022年7月、安倍晋三元首相が銃撃によって命を落とした際、その霊柩車を目の当たりにした彼女は涙ながらに「私が政治に立ち上がらねば」と決意し、以後本格的に政界を志すようになったと語っています。2024年頃からは、中国製品不買運動を呼びかける街頭活動や、ウイグル人虐殺を告発する漫画冊子の配布プロジェクトなども手がけ、反中国共産党・人権重視の活動家として国内でも徐々に支持を広げていきました。


参院選への単独挑戦と支持層:無所属で23万票を獲得

これらの活動の集大成として、平野雨龍氏は2025年7月の第27回参議院議員通常選挙(東京都選挙区)に無所属で立候補しました。スローガンは「国会に平成生まれの女性を!」で、当時31歳という若い女性候補でありながら、中国人移民の規制強化や台湾・香港との関係深化を主要政策に掲げました。具体的には、外国人問題、とりわけ中国人に対する入国・土地購入の規制、スパイ防止法の制定、さらにウイグル虐殺を含む人権問題への対処など、対中強硬路線の政策を次々と打ち出しました。加えて、自身も幼少期に受けた児童虐待の経験から、「虐待サバイバーが生きやすい社会を」と児童保護政策にも言及するなど、独自の視点も示しています。

選挙の結果、平野氏は235,411票を獲得し、32人中14位という成績を収めました。惜しくも当選圏(当時の東京選挙区の改選数は6議席)には届かなかったものの、この得票数は無所属候補としては突出しており、政党の支援なしで集めた票としてはトップでした。彼女の主張に共感し票を投じたのは、主に保守層・右派層の有権者だと言われています。外国人労働者の受け入れや移民問題への警鐘、中国の人権侵害に毅然と対処すべきという訴えは、ネット保守層を中心に「日本を守る保守の受け皿」として支持を広げ、選挙戦終盤にはSNS上で彼女を推す声が盛り上がりました。また街頭演説では、「日本国籍を取得した元外国人の国会議員が存在することに警鐘を鳴らす」「国籍情報は公表すべきだ」と発言し、喝采を浴びる場面もありました。皮肉にもこの発言によって「平野本人こそ帰化人(元外国人)ではないか?」との疑念も一部で再燃しましたが、本人は即座に否定し、疑惑払拭のための情報公開も厭わない姿勢を示しています。

選挙期間中には、中国寄りの立場の人々との摩擦も起きました。例えば2025年7月上旬、新宿駅前で演説中に通りがかった中国人とみられる男性に中指を立てられたり、飲み物をかけられたり、マイクを奪われかけるといった妨害を受けた場面がSNSで拡散されています。平野氏は「中国版SNS(微博やビリビリ動画)で自分の活動が取り上げられており、それを見た中国人観光客が意図的に嫌がらせに来ているようだ」と述べ、複数回にわたる妨害にもひるまず活動を継続しました。落選後も、「制度を変えなければ何も変わらない」という信念のもと、ネット世論や市民の支持を背景に再起を図る姿勢を崩していません。


浮上した「中国人?別人?」疑惑とSNS炎上:ネット論争の深層

一方で、ネット上では平野雨龍氏の出自やアイデンティティをめぐる憶測が相次ぎ、「中国からの帰化人ではないか」という疑いが根強くささやかれてきました。「雨龍」という名前の読みが中国風にも見えることや、本人が対中強硬を唱えていることもあり、「もしかして元は中国人なのでは?」といった声が一部で上がったのです。このため平野氏は選挙中から何度か戸籍謄本や家系図を自ら公開し、自身と近親者に帰化人(外国出身者)はいないこと、そして本名(戸籍名)は**「荻野鈴子」**であることを示しました。2025年6月と7月に公表した資料によれば、曾祖父母の代まで含めても外国籍から日本に帰化した親族はおらず、平野氏自身も純然たる日本国籍保持者であると明確に証明されています。平野氏はこの情報公開により「自分は帰化ではない」と身の潔白を示した形ですが、それでもネット上の疑念が完全に収束するには至りませんでした。

さらに2025年7月の選挙後、今度は平野氏の**「別人説」がSNS上で急浮上します**。発端の一つはインフルエンサーの暇空茜氏が投稿した比較動画でした。暇空氏は、平野氏が大学生時代に「荻野鈴子」名義で公開していた自己紹介動画と、近年「平野雨龍」として発信した自己紹介動画を並べて紹介し、「顔、声、喋り方のイントネーション、全てまるで別人ではないか」と指摘したのです。実際、いずれの動画も本人とされるものの、若い頃(荻野鈴子名義)の映像では明るい髪色でカジュアルな雰囲気の女性がやや高い声で話しているのに対し、最近の平野雨龍氏は落ち着いた低めの声で堂々と話し、顔立ちも輪郭や表情が随分と変化して見えます。それを観た一部のユーザーが強い違和感を覚え、「本当に同一人物なのか?」とざわつき始めました。

この劇的な容貌・雰囲気の変化について、ネット上では様々な意見が飛び交いました。暇空氏ら疑念を呈する側は、「5年前と比べて明らかに顔が縦に伸びたように見える」「日本語が母語の人の喋り方には聞こえない。20代後半でここまで話し方が変わるものか」といった点を挙げ、平野氏が過去から現在に至るどこかの時点で「入れ替わった」可能性すら示唆します。極端なものになると、「実は香港の利益のために送り込まれたスパイではないか」といった陰謀論めいた説まで拡散される事態になりました。一方で擁護する側からは、「女性は10年も経てばまるで別人のように変わることもある」「声だって社会的立場や話し方の訓練次第で変化する」といった反論が多数寄せられました。実際「笑ったときの顔つきは昔の動画と同じで、どう見ても同一人物だ」という指摘や、「表面的な部分しか見ていない人が別人と感じるのだろう」という冷静な声もあり、「別人説」はあくまで憶測に過ぎないという見解も根強くあります。

平野氏本人も、こうした疑惑には一貫して否定の姿勢を示しています。前述のように戸籍や家系図まで公開して自身が日本人であることを証明したほか、ネット上の誤情報には必要に応じて訂正や説明を行っています。例えば戸籍謄本を公開した際、一部で「母親」の字が通常の「母」ではなく異字体の「毋」となっている点に注目が集まり、「何か特殊な事情があるのでは?」と勘繰る声もありました。しかしこれに対して平野氏は「使用フォントや書式の範囲内の表記に過ぎない」と説明しており、過度な憶測を戒めています。またネット有志の調査で銀行の寄付口座名義に関する不自然な点が指摘される場面もありました。平野氏が公開している現在の寄付講座は「屋号:ヒラノウリュウ」+「本名:荻野スズコ(鈴子)」名義になっている一方で、2019年頃の香港支援デモで案内されていた寄付口座は「ヒラノスズコ」名義であったという情報が出回ったのです。事実であれば2019年当時は「平野鈴子」という名前を用いていたことになりますが、平野氏は2021年に正式改名して雨龍となったとされるため、時系列がどう整合するのか説明が必要だとの声も上がりました(※この点について本人から明確な説明は出されていません)。

しかしながら、こうした細かな疑問点の追及がエスカレートし過ぎているとの懸念もあります。平野氏は公職の座についているわけでもない一私人(落選候補)であるにもかかわらず、その過去映像やプライバシーが執拗に掘り下げられる状況に対し、「もはや人権侵害ではないか」との指摘も出始めています。実際、現職の国会議員でさえここまでの精査はされていないという指摘や、「一私人をここまで追い詰める理由は何なのか」と冷静さを求める意見もSNS上で多く見られます。一方で、この論争の火付け役となった暇空茜氏をはじめとするインフルエンサーの影響力の大きさも浮き彫りになり、「疑念の連鎖」がひとつの社会現象と化しつつあるとの見方もあります。顔写真や動画といった視覚情報、声や話し方といった要素は、本来時間の経過や環境によって変化しうるものですが、インターネット上ではそれらがしばしば絶対的な「証拠」として扱われてしまいます。平野雨龍氏をめぐる今回の一連の騒動は、単に一人の人物の真偽にとどまらず、「ネット社会において何をもって本人と認定するのか」「プライバシー情報の公開要求はどこまで許されるのか」という根源的な課題を突きつけているとも言えるでしょう。


おわりに

平野雨龍氏は、和装で街頭に立ちながら人権や国家主権を強く訴えるという独自のスタイルで注目を浴びてきました。彼女の人生は、家庭との断絶やトラウマからの再生、日本文化への傾倒、香港との出会いによる政治への転身と、波乱に満ちた歩みです。こうした背景を持つ彼女だからこそ、「日本の危機を直視せよ」というメッセージに説得力が生まれている面もあるでしょう。

ネット上で囁かれる出自や別人説に関しては、現時点で公的な証拠を見る限り事実無根であると言えます。平野氏自身、「日本の国益のために立ち上がった人間」であることを信じてほしいと訴えており、次の挑戦に向けて活動を続ける意向を示しています。支持者からは彼女に改革の旗手としての期待が寄せられ、批判的な人々からは引き続き監視の目が向けられる中、「平野雨龍」という異端の活動家が今後何を問いかけていくのか。その発言と行動は、これからの日本社会・政治の一断面を映し出す鏡になるのかもしれません。

平野雨龍氏とは何者か「荻野鈴子とは別人のように変貌」「いや同一人物」戸籍公表後にも消えない別人説

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